富岡の繭プロジェクト

富岡の繭プロジェクトはこんなことをしていきます

小さな利益にとらわれず、立場を超えて同じ地域に暮らす人たちが、地域のことを考えてつながっていくことを大切にしていくことができればとの思いからスタートしました。
富岡の養蚕農家の繭を使用してのモノづくりと農産物の商品企画をサポートをしていきます。そして桑を新たに植えることで養蚕という伝統 文化を継承していきます。

桑畑がある、蚕が育っているそんな農村風景のある町が富岡であります。このまま何もしなければ数年後には日本国内から養蚕農家がいなくなってしまうかもしれません。しかし桑畑があれば蚕を飼うことができます。そしてこのことが富岡製糸場産業遺産としての本当の価値につながっていくのだと思います。
イタリアのアマルフィの世界遺産はローマ時代から脈々と受け継がれたレモン畑と生産農家がいます。そのレモンを使った料理も含めた景観そのものが世界遺産ではないでしょうか。そして我が町の誇りですと言える..そこに歴史の重みがあるのだと思います。

富岡市の現状

昭和49年(1974年)養蚕農家で2,360戸、収繭量で1,187,705kgの繭が取れました。平成21年には19戸で収繭量は6,000 kgとなってしまいした。なんと200分の1という数字まで激減してしまいました。(ちなみに昭和48年国内生産は養蚕農家305,000戸で収繭量は79,262,000kgでした)

思い


地域の人たちが、地元の「養蚕農家」をサポートするために、ほんの少し高い値段で繭を買い取る約束を交わすプロジェクト。
平均年齢72歳の富岡の養蚕農家の繭作りを地域の力で支えることで、世界遺産本登録を目指す富岡製糸場の応援と桑畑のその田園風景を耕作放棄地の増加による荒廃から守りたいという願い込められています。
今年3年目を迎えた「富岡シルクブランド協議会」は毎年5〜6トンの繭の買い付けをおこなっております。(地元養蚕農家19戸)「富岡シルクブランド」のことを知ってもらい、養蚕を支えること、世界遺産本登録を目指すことの意義について、大都会に住む人たちにとっても考えてもらえるキッカケになればとの思いでもあります…。

覚悟

平成20年4月から国の農業政策が大きく転換されました。
導入された新たな蚕糸・絹業支援制度により、国産絹製品のブランド化を自立可能なシステムにしていかなければなりません。この支援制度では養蚕農家から製造加工業者が一致協力して、国産繭を使用した付加価値の高い絹製品づくりをすることによって富岡ブランドの確立をしなければなりません。富岡市と我々はこの制度を活用しながら世界遺産登録を目指す富岡製糸場の周辺地域に蚕糸・絹業を産業として残していくために、平成20年5月7日「富岡シルクブランド協議会」を設立しました。

22年度は、3年計画の最終年にあたります。
この2年間に築いた提携システムの形を基礎としてさらなる発展をさせていかなければなりません。
そのためには養蚕農家は「良質な繭」製造加工業者は「我が町富岡を誇れる商品づくり」をそれぞれの会員がもう一度原点に返って『惣(もの)づくり』をを見つめ直す覚悟が必要です。

農家が安心してつくれる価格で、買い支える仕組みをつくります

20年くらい前、仮渡金でも2,000円はしていました、精算金で2,500円位にはなりました。現在は清算金で1,800~2,000円になればいいほうです。プロジェクトでは持続可能価格としてキロ3,000円が渡る仕組みを考えています。

ヤングシルクサミット

養蚕農家と我々が手を携えることから始めて、若い人が農業に関われる仕組みづくりや新しい仕事興しにつなげていきたいと思います。日本や世界でシルクに携わっている若者たちの交流拠点の場、情報発信の場、そしてものづくりの場として富岡製糸場から若い芽がすくすくと育ち、豊かな地域をつくっていくことが富岡の繭プロジェクトの目的です。

最古にして最新の繊維「絹」

昭和46年11月23日、勤労感謝の日の特番としてNHKテレビは「絹誕生」を放映した。この番組のプロデュサ−である御生亮弐氏の取材後の感想を改めてここに披露してみたいと思う。
取材は期間の関係もあり養蚕だけに限った。春の不純な気候の中で寒さや蚕病を気づかう稚蚕共同飼育所に働く農家の人々、幾たびと繰り返される給桑、多忙をきわめる上族、そして収繭。そこには蚕を慈しみ心配する農家の主婦の顔があり、背にのしかかる桑の重みにゆがめられた農家の主人の顔があった。撮影を終えてもう一度考えてみる。
「絹はなぜ尊いのか」。絹と化学繊維の決定的な違いは何か。命を持った蚕と桑があり、桑は蚕体をとおって白い糸に変わった。その変化を助けたのは土や水、空気であり地球にふりそぞく太陽光線であり、地球全体の泉流的な財産であった、そして生命の持つ不思議なエネルギ−と泉流資源との大いなる結合に介在し、働きかけたのは農業を営む人間であった。石油から取れる化学繊維も自然の産物であることには変わりはない。何万年も何億年も地中で醸成された石油を、人間はわずかの歴史の間にほしいままに掘り起こし、そこから人類の数々の富を得た。しかし、そこには生命と泉流資源との結合や自然に対する人間の働きかけ、語りかけはなく、あるのは地球資源の収奪だけである。これらの人間の所行の結果が環境汚染につながることは周知のとおりである。
自然の秩序を保ちつつ積極的に自然に働きかけ、長い歴史をかけて人間の知恵と情熱と愛情によって得られた「絹はなぜ尊いのか」という素朴な質問に対する回答はどうやらこの辺りにあるらし。

                       昭和47年5月10日 日本農業新聞







































養蚕

桑の葉をついばみ蚕は光り輝く絹糸を紡いでゆきますそして優しく自分を包み込む繭をつくりあげますすべてが自然の恵み中で営まれます。
2008.9/20〜23日の4日間富岡市白岩の養蚕農家金井一男さん宅で養蚕体験をしてきました。金井さんお蚕さんを24万匹飼育しています、だから..蚕の餌である桑の葉っぱを沢山用意しなければなりません。毎日の桑切り作業が大変な仕事でした。でも、桑を切り揃えた後の桑畑に夕日が映えた光景はとてもきれいだったです......。